ジョン万次郎 沖縄・糸満上陸の地 ― 紙芝居と歴史で辿る、和田ジョンたつおの記録
johnmung.okinawa は、ジョン万次郎の沖縄・糸満上陸の歴史と、
そこから見えてくる「自由」「民主主義」「国際交流」の物語を伝えるサイトです。
1851年、アメリカから帰国したジョン万次郎(中濱万次郎)が最初に踏んだ「日本の地」は、沖縄県糸満市大度の大度浜海岸でした。 その地に「ジョン万次郎上陸之碑」と銅像を建立した和田ジョンたつおが、紙芝居・沖縄の歴史・ゆかりの地マップを通じて、 万次郎と糸満のつながりを伝えています。
※ この海岸は 大度浜海岸(おおどはまかいがん)・大度海岸・サシチン浜・ジョン万ビーチ と複数の呼び方がありますが、いずれも同じ場所です。
2028年 大河ドラマ
「ジョン万」放送決定!
そして2027年1月、万次郎は生誕200年を迎えます。
「大河ドラマ第67作は、日本史上 唯一無二の大冒険!
主人公は「ジョン万次郎」こと 中濱万次郎(なかはま まんじろう)
歴史に名が残るはずなどなかった貧しき漁師
だが漂流の悲劇の末 救出されてアメリカに渡り
日本を救う"知と技"を得た一流の船乗りとなる
異国の友は 彼を John Mung(ジョン マン)と呼んだ―
19世紀の日米と太平洋を舞台に
命がけのサバイバルの連続と遥かなる再会のロマンを描く
"漂流者"となった庶民の 一大感動巨編!」
キャスト・放送情報/糸満・豊見城のゆかりの地8か所/牧志朝忠との出会い
なぜ、糸満なのか。
1851年、万次郎が帰国の途で最初に踏んだ「日本の地」は糸満市大度の大度浜海岸(大度海岸・サシチン浜)でした。その地に石碑と銅像を建て、万次郎と糸満の縁を形にしたのが、このサイトの発起人・和田ジョンたつおです。
大河ドラマ放送を前に、紙芝居・歴史・ゆかりの地マップを通じて、誰でもジョン万次郎と糸満のつながりを知れる入口を目指しています。
万次郎に惚れて自ら「ジョン」を名乗り、銅像建立・紙芝居制作・小説出版・語り部活動を続けてきた糸満在住の万次郎研究家。
和田ジョンたつおが万次郎のために歩んだ軌跡
建立期成会を立ち上げ
6年間の活動が実を結ぶ
(2027年1月)
NHK放送開始
ジョン万次郎 定期勉強会
2026年8月28日(金)、くくる糸満にて開催しました。
ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。
万次郎の生涯と沖縄上陸の経緯、板良敷朝展(のちの牧志朝忠)との出会い、 そして「デモクラシーは糸満、大度から始まった」という言葉が生まれた背景まで、 資料と紙芝居を交えてお話ししました。
参加者のみなさんからは、大度海岸の現地案内や次回のテーマについてのご希望もいただきました。 いただいた声は、今後の勉強会づくりに活かしてまいります。
※ 参加者のプライバシーに配慮し、お顔にモザイク処理をしています。
次回の日程や、ゆかりの地をめぐるフィールドワークのご案内は、 LINEオープンチャット「ジョン万次郎と糸満を学ぶ会」でお知らせします。 当日の資料の共有や、参加者どうしの情報交換もこちらで行っています。ぜひご登録ください。
大河放送を前に、
万次郎を深く知る時間
13:00 〜 15:00(終了)
(沖縄県糸満市)
オープンチャット「ジョン万次郎と糸満を学ぶ会」では、勉強会で使った資料の共有や、今後の勉強会・フィールドワークのご案内をしています。ぜひご参加ください。
✓ 参加は匿名性が守られるので安心です。
こんな方におすすめ
大河ドラマの放送を前に、「ジョン万次郎って誰?」から始めたい方。沖縄と万次郎のつながりをもっと深く知りたい方。糸満の歴史を地元から見直したい方。
勉強会で扱うテーマ
万次郎の生涯と沖縄上陸の経緯。板良敷朝展(のちの牧志朝忠)と琉球外交。「民主主義の種」が大度海岸から芽吹いた歴史。次世代への伝え方。
定期開催について
次回以降の日程が決まりしだい、このページとLINEオープンチャットでお知らせします。フィールドワークのご案内も同じくLINEで先行してお伝えしています。
紙芝居で知るジョン万次郎
15〜20分でたどる万次郎の生涯
日本語・英語バイリンガル版
和田ジョンたつおが制作した紙芝居。難しい歴史書を読まなくても、絵と言葉で万次郎の波乱に満ちた生涯がわかります。子どもから外国人観光客まで、万次郎を知る最初の一歩として。
土佐の漁師の少年が海を渡り、アメリカを学び、琉球の地に降り立つまで。そして彼が日本にもたらしたもの。
動画公開準備中 — Coming Soon
沖縄におけるジョン万次郎
「デモクラシーは糸満、大度から始まった。」
1851年
大度海岸に上陸
帰国の途についた万次郎が最初に踏んだ「日本の地」は、琉球・糸満市大度海岸(サシチン浜)だった。アメリカで身につけた知識と英語を持ち、薩摩藩の審問の場に立つ。
板良敷朝展への影響
那覇では、琉球王府の官僚で通事(通訳官)を務めた板良敷朝展(のちの牧志朝忠)が、万次郎から西洋の知識と英語を深く学んだ。その知識は、やがて大きな外交の舞台で花開くことになる。
ペリー来航と琉球外交
1853年、マシュー・ペリー提督が琉球に来航。板良敷朝展(のちの牧志朝忠)は通事としての英語力と万次郎から得た西洋の知識を活かし、交渉の最前線に立つ。この外交力が琉球の未来を切り開いた。
民主主義の種は、大度の砂浜に降りた日から始まっていた
万次郎が日本に持ち帰ったのは、航海術や英語だけではなかった。アメリカで見た民主主義の精神、自由の概念、人が人として扱われる社会の在り方。福沢諭吉や岩崎弥太郎ら多くの教え子を通じて日本の近代化に貢献した万次郎。しかしその影響は、琉球においても確かに息づいていた。板良敷朝展(のちの牧志朝忠)という一人の官僚の中に。そして彼が守り、発展させた琉球の外交の中に。「デモクラシーは糸満、大度から始まった」——この言葉は、沖縄だけが語れる万次郎の物語だ。
ジョン万次郎が辿った宿道
ゆかりの地ウォーキングコース
糸満市主催「ジョン万次郎ウォーキング」のコースを、和田ジョンたつおが発案。1851年に万次郎が実際に歩いた宿道を、今も自分の足でたどることができます。
和田ジョンたつお、とは?
坂本龍馬に熱狂した高知の少年が、60歳で運命の本と出会い、かつて自分が素潜りしていた海が万次郎の上陸地だと知った。そこから、すべてが始まった。
龍馬少年と、偶然の出会い
高知県出身の和田さんは、幼い頃から郷土の英雄・坂本龍馬の大ファン。「龍馬を暗殺した犯人を自分の手で突き止めたい」と本気で考えていたほどの熱の入れようだったといいます。
転機が訪れたのは、今から18年ほど前、60歳の頃。東京のわしたショップでたまたま手に取ったのが、一冊の絵本でした。
絵物語『琉球に上陸したジョン万次郎』
文・版画:儀間比呂志 原案・翻訳:神谷良昌
(John Manjiro in the Ryukyu Kingdom)
「同じ高知県に、こんなにすごい人物がいたのか」——和田さんはこの本を読んで、大きな衝撃を受けました。
「あの海だ」という、まさかの気づき
さらに読み進めるうちに、この物語がご自身にとって思いがけず身近なものであることに気づきます。和田さんはかつて沖縄に約10年間赴任しており、当時よく素潜りに出かけていたのが、まさに大度海岸(サシチン浜)——ジョン万次郎が上陸した、その場所だったのです。
この偶然をきっかけに、和田さんはジョン万次郎の生涯にどんどんのめり込んでいきました。そしてついに「万次郎が上陸したこの沖縄の地に、石碑を建てたい」という強い思いを抱くようになります。
「ジョン」を名乗ることにした日
2012年(平成24年)、有志とともに「ジョン万次郎上陸の地建立期成会」を立ち上げ、行政への働きかけを含めた活動を本格的にスタート。活動を進める中で、和田さんは自らを「和田ジョンたつお」と名乗ることを決意します。
「ジョン万次郎の広告塔になろう、もっと多くの人にこの人物のことを知ってもらおう」——そう心に決めての改名でした。
約6年に及ぶ地道な活動が実を結び、平成30年(2018年)2月18日、糸満市大度海岸(サシチン浜)に「ジョン万次郎上陸之碑」が除幕。市内外から約260人が建立を祝いました。
現在の活動
NPO琉球万次郎会:役員として、万次郎と沖縄・糸満のつながりを掘り起こす活動に携わる。
土佐幡多の会「沖縄支部」「沖縄ジョン万支部」支部長:高知と沖縄、双方の縁を取り持つ。
語り部として:関東幡多の会など県外からの訪問者に向けて、糸満市・豊見城市のゆかりの地を現地案内。
紙芝居の制作・普及:万次郎の生涯を描いた日英バイリンガル紙芝居を制作し、子どもたちや来沖者に披露。
小説の出版
2022年3月10日、小説『ジョン万次郎琉球上陸物語』(冨山房インターナショナル)を出版。なかみや梁(宮城稔)氏と二人三脚で作り上げた一冊。万次郎が琉球に上陸してから半年間の物語を、丹念な調査と情熱で描き出した。
講演・メディア出演のご依頼
万次郎に関する講演、現地案内、紙芝居公演、取材・メディア出演のご依頼はお気軽にどうぞ。